完璧じゃないといけないと思っていた

完治に向けて
ゆずきち
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私が発信を始めたころ、自分を大きく見せないといけないような気がしていました。

それは、『こんな私が』という気持ちが強かったからです。

『まだ揺らいでるような人から聞きたい事なんてないんじゃないか』

『ちゃんとしてないとみてくれてる人に失礼じゃないか』

『書くからには正解じゃないと』

『揺らぎがなくなった人じゃないと』

みたいな感じの気持ちがあったんだと思います。

つまり『完璧』な人しか受け入れられないんじゃないかと思っていたということです。

でも、いろんな方の情報をみて、

どんなに『プロ』と呼ばれている方でも

『これは知らなかったです』ということも

『自分もまだ勉強中です』ということもあるんだなって気づいたんです。

それに、こんな自分の経験も価値があると思えるようになってきました。

自分が一生懸命学んで、実践して、積み重ねてきたものは

誰かと比べる必要もないし、比べることなんてそもそもできないんですよね。

そして、そう思えるだけ、自分は頑張ってきたと思っています。

実際、頻回のトイレや明らかな血便が出るほど体調が悪化しても

自分の経験を活かしてバナナ便に戻すことができるようになっています。

最近の私の便は

もはや全貌が見えないほどのバナナ便かつ、黄土色で浮いているなんて日もありました。

それもまだ、揺らぎの中ではありますが、揺らぎの振れ幅が小さくなっている感覚はあります。

薬も使っていないのに、急激に完治並みの状態になるなんてことはないと思っているので、

これは当たり前の状態かなと思います。

世間では『治らない指定難病』として知られているものを

自分の力である程度回復させることができるって、

少しは自信をもってもいいと思えるようになったんですよね。

ただ、難病と言われるだけあり、一度回復したら終了ではないんです。

これが、治らないと言われる理由だと思いますが

寛解はあっても完治はないと言われています。

でもそれって、どうなったら治ったと判断して良いのかにもよると思うんですよね。

例えば、喉が痛いのが治っても

体調を崩すとまた痛くなったりします。

でも、それをまた治して普通に生活してますよね。

腸の症状だって、同じじゃないですか?

ちょっと調子崩したなって思っても、また立て直して普通に生活できたら

別に他の風邪と同じだと思うんですよね。

また屁理屈言ってますかね・・・。

だから、症状がちょっと出ても、自分で立て直して普通に生活できるなら

それはもうただの風邪と同じレベルだと思います。

血便が出るほど崩してたら、いろいろ他の問題があるので

崩すレベルによるとは思いますが・・・。

私の考え方って、おかしいんですかね・・。

『もう何十年も症状がでていないので完治です』みたいなことを言ってる人に

『それは完治ではないです。寛解です。』と言っている人もいますし

考え方はそれぞれでいいと思いますが

わざわざ、『治らないです』『それは完治じゃないです』っていう必要ありますかね・・。

『意識しないとまた崩す可能性があるなら完治ではない』ということでしょうか。

例えば本当に、ちょっと便秘になったり下痢になったりする程度であれば、

風邪ひかないように手洗いうがいしたり、喉が痛くなったら予防の対策をしたりするのと

何が違うんでしょう。

病気に詳しいお医者さんに言わせたら、『何言ってるんだ』って呆れられるんでしょうかね・・。

脱線しすぎました。

今日は完治がどうの話ではなく、完璧じゃなくてもいいんだという話でした。

私はこれまで、本当にたくさんのことを試してきました。

試したことで逆に体調が悪化したこともあるし、メンタルもかなりやられました。

でも、今は過去最高だと思える自分になっています。

まだ崩して『あらら・・・』となることもありますが、

ずっと欲しかった『立て直すための自分の軸』を見つけ始めている感覚があります。

もちろん個人差があるので、これを見てくださっているあなたに合うかはわかりませんが

良いと思ったことは書いていきたいと思っているので、また見てください。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

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